【ウォルトディズニー年表】ウォルトの性格。死因。そしてミッキーとの出会い

【ディズニー】
プロフィール
ミト(元ディズニー社員)

ディズニージャパン・オリエンタルランド社員を経て、
USJ(ユニバ)やサンリオなどをはじめとしたエンタメ業界の人材コンサルをしています。
就職・転職のお悩み相談のプロとしても幅広く活動中です。
お問合せはお気軽にDMまで

【ウォルトディズニー年表】ウォルトの性格。死因。そしてミッキーとの出会い

ミッキーマウスの生みの親ってウォルトディズニーだよね。ディズニーランドの創立者だしすごいなぁ。こんな世界中で大成功するなんてうらやましいなぁ

ウォルトもはじめから大成功をしたわけではないんだ。破産寸前になってもあきらめなかった。情熱がすさまじかった彼の歴史を追っていこう

ウォルトディズニーの生い立ち

1901年、ウォルト・ディズニー(本名:ウォルター・イライアス・ディズニー)は、アメリカ・イリノイ州シカゴで生まれました。
鉄道員である父の影響により、幼少期から大の鉄道好きに。

幼いころから絵を描くことに興味を持っていたウォルトは、高校生になると夜間の美術専門学校に通って絵を学ぶようになります。
ウォルトの絵画の技術は徐々に上達し、のちに世界的に有名なミッキーマウスを生み出します。

数々のディズニーキャラクターを誕生させたウォルトは、兄のロイ・ディズニーと共同で、「ウォルト・ディズニー・カンパニー」を設立しました。
その後、ウォルト自ら指揮・構想した長年の夢である世界初のディズニーパーク「カリフォルニア ディズニーランド・リゾート」を誕生させました。

ディズニーランド誕生

「カリフォルニア ディズニーランド・リゾート」を皮切りに、世界中に6個ものディズニーリゾートを誕生させたウォルト・ディズニー。
ウォルトがディズニーパークを手掛けるきっかけは一体何だったのでしょうか?

きっかけは家族

2人の娘を持つウォルトは、子供たちを連れて遊園地やカーニバル、動物園などによく遊びに行っていました。

しかし、ある時回転木馬で遊んでいる娘たちを見ながら、自分はベンチにポツンと座っていることに気が付いたウォルト・ディズニー。
「なぜ、子供たちは楽しんでいるのに、大人たちは子供と一緒に楽しめないのだろう?」そんな疑問が湧いたのです。

ウォルト・ディズニーは、「親と子どもが一緒に楽しめる場所はないのか?」と考え、それこそがディズニーランド計画のきっかけとなったのです。

アニメーターから実業家へ

これまでアニメーターとして数々のアニメーション作品を製作していたウォルト・ディズニーでしたが、ディズニーランドの建設計画を本格的に始動しました。
ウォルト・ディズニーは、有能なデザイナーを雇い、パークのコンセプトを考え始めます。

ディズニーランドの開発は、なんと15年以上の長い年月がかかりました。
そして、1955年7月18日、ついにウォルトの念願であった世界初のディズニーランド「カリフォルニア ディズニーランド・リゾート」がオープンしたのです。

ディズニーランドを完成させたウォルトは、ここからアニメーターから本格的な実業家へと変わっていくのでした。

ウォルトの最後の夢

世界初となるディズニーランドの建設を成功させたウォルトは、今度はフロリダ州に広大な土地を購入し、「フロリダ ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」の建設をスタートさせます。

ウォルトディズニーの死因

ウォルト・ディズニーは第2のパークの完成を見ることなく、1966年肺がんにより65歳という若さで亡くなりました。

ウォルト・ディズニーは最後に「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう。」ということばを残してその生涯に幕を下ろしたのです。

ミッキーとの出会い

引用 公式HP

幼いころから図画などアートにおいて才能を発揮していたウォルト・ディズニーは、19歳で初となるアニメーション作品『ニューマン劇場のお笑い漫画』を手がけました。

1923年、22歳となったウォルト・ディズニーは、兄のロイとともに「ディズニー・カンパニー」を立ち上げ、『アリス・コメディ』や『オズワルド』などのアニメーションを製作します。
しかし、残念なことに「オズワルド」の版権が奪われてしまう事態に。

1928年になると、ウォルト・ディズニーはオズワルドに代わるディズニーキャラクターを考案します。
当時、ウォルトが飼いならしたねずみを参考に、世界的に有名なミッキーマウスを誕生させたのです。

動物好きであるウォルト・ディズニーは、人々の生活の中で一番身近な生き物「ねずみ」をモチーフにしたキャラクターを作りたかったと言います。
ミッキーマウスの原点は、不幸にも版権が奪われてしまった「オズワルド」だったのです。

蒸気船ウィリー

引用 公式HP

ウォルト・ディズニーは絵の才能を持ち合わせていましたが、絵の動きや効果音などアニメーションの演出面でも才能を発揮しました。

ミッキーの初となる短編アニメーション『蒸気船ウィリー』においては、ウォルト自身がミッキーの声を担当。
そして、世界初の映像と音声が同期したトーキー映画のアニメ製作に成功させました。

1932年に入ると、世界で初となるフルカラーアニメーション『花と木』がアカデミー賞を受賞します。
さらに、1937年には世界初の長編アニメーション『白雪姫』が公開されました。

当時はフルカラーでの長編アニメは難しいと言われていた時代に大成功をおさめたウォルト・ディズニーは、世界にその名を残すアニメーターとなったのです。

さいごに

ディズニーランドの創設者ウォルト・ディズニーの歴史をご紹介しました。

ディズニーキャクラクターに命を吹き込んだようなリアリティあふれるアニメーションは、ウォルト・ディズニーなくして成功していません。
ウォルト・ディズニーのある日の「発見」がなければ、今のディズニーランドはないかもしれませんね。

歴史に残るディズニーキャラクターを生み出したウォルトの夢は、この先もまだまだ続いていくことでしょう。

<あわせて読みたい>
ウォルトディズニー好きにオススメの本!ディズニー名言や伝記など

コメント

タイトルとURLをコピーしました